駅伝と言うのは、かつて金栗四三氏がマラソンや長距離競技の発展の為に考案されたと認識している。確かに、駅伝の始まりはそうだったのだろう。
しかし、私はその駅伝が陸上長距離界において世界から日本が取り残された原因だと感じている。
スポーツにおいて、能力を向上させる物は、トレーニングよりもその人の本質やその人の意識の高さが大きいと感じる。
例えば、ある2人が同じ質の高いトレーニングをしたとする。そうした場合、何故このトレーニングをするかを目的を意識して行う人の方が、目的を意識しない人よりもトレーニングの効果を発揮する。
それと同様にチームで絶対に一番になると言うハッキリとした気持ちを持った人の方が、そうでない人よりも競技力が向上するのだ。
「その為には」と、あらゆる事を考えるからだ。
しかし、駅伝はチーム戦。チーム内で一番にならなくても、メンバーに入る力があれば、出走出来る。
そうなると、チームで一番になると言う意識は低く、競技力もそれ相応になる。
それが、競技向上の真相心理だ。
チームで一番を目指せない人が、世界で上に目指せると思うでしょうか。いや、目指せない。
それが、日本の縛り、いや呪縛なのだ。
駅伝はチーム一丸となって戦い、勝つ喜びも負ける悔しさも1人で戦うより大きい。そして、メディアの取り上げも高い。
そこにドラマチックな展開を周囲は期待し、そう言った魅力にすべての方が引き込まれる。
駅伝を目指したくなる理由も分からない訳ではない。
だが、それでは日本は勝負出来ない。ましてや、勝てる訳がない。
それでも、世界で勝負出来ている現実を日本は受け入れるべきだ。