先日までブタペスト世界陸上が行われ、幕を閉じました。世界でケニアやエチオピア、ウガンダだけでなく欧米勢の台頭が窺えた大会だったと思われます。日本でも3000m障害の三浦龍司選手を始め5000mの田中希実選手、10000mの廣中璃梨佳選手と入賞を果たしました。しかし、皆さん感じませんでしたか。結果を決める終盤に差し掛かってジリジリと離されて行く日本選手。タイム差以上の世界の壁を感じたかと思います。
では、何故このような差が日本から選ばれたトップ選手と海外のトップ選手で出来てしまったのだろうか。それは、ここまでに至るまでに今まで積み上げてきたトレーニングのやり方の差だと私は考えます。
世界では、高校生に上がるまでに国際大会どころか全国規模の大きな大会はほとんどありません。走る事が好きな人がただひたすら楽しみながら心や体に負担が掛かり過ぎない程度に陸上を楽しんでいるのです。そして、心と体が出来上がる高校生以降から本格的なトレーニングに移って行きます。
しかし、日本では小学校、中学校、高校、大学と縦系列の社会の中、各々の指導者のもと勝利至上主義と、そして駅伝が存在する。勝利至上主義は成長ベースを考えないトレーニングやレースをねじ込み、故障や心的ストレスによるバーンアウトなど競技の成長を妨げる。そして、駅伝主体の陸上競技、そこに費やす時間や労力は陸上競技であるトラック種目の専門種目に特化したトレーニングの時間の妨げになるのである。
そもそも、陸上競技に駅伝と言う種目はない。それを行っているのは日本だけだ。海外で、18歳を過ぎて最もスプリントを高めるトレーニングの為に時間を割いている間、日本人は一定ペースで長い距離を走る事にただひたすら時間を割く。それは、駅伝のためだ。時間と体力には限界があり、駅伝を続ける以上そう成らざるおえないのは仕方がない事である。それでは、今回の世界選手権の5000mのラスト800mのように、1'52"前後の戦場で勝負すらならない。いや、今回の世界選手権だけでなく、海外のトップレベルが走るレースはそう言ったレースでしかない。要するに今の日本人では到底対応出来ないのだ。5000mも10000mも高速化、中距離化している中、駅伝の延長で競技に対応する時代はもう終わったのだ。
何度でも言います。海外に駅伝はない。陸上競技に駅伝はない。陸上競技であり続ける以上、駅伝は必要ないのだ。やるのであれば、陸上競技と駅伝はスポーツとして分離すべきなのであろう。
現在の世界基準1500mを3'32"で走る為に、中学1年生で4'30"、26歳で到達を考えると、
26歳3'32"
25歳3'36"
24歳3'40"
23歳3'44"
22歳3'48"
21歳3'52"
20歳3'56"
19歳4'00"
18歳4'05"
17歳4'10"
16歳4'15"
15歳4'20"
14歳4'25"
13歳4'30"
絶えず4秒~5秒縮めて行かなければいけない中、特に上へ行く程タイムを詰めるのが難しさを増す中、必要の無いものに労力を割く時間などどう考えても無いはずなのだ。