兵庫RC(ランニングクラブ)

小学生から大人まで幅広い層のチームでの様々な連絡や報告、そして私の考え方や理論を上げて行きます。

陸上競技の現状を考える

今日の陸上競技界と言うのは、古い体質から抜け出せない状況下が続いている。日本陸連は昔からおられた方、いわゆる古株と、それに従う従順な過去の実績者で形成される。指導者の中心は、過去の競技者として実績を残された方と昔から続く部活と言う名のもとで指導される教師から成る。新しい風はほぼ皆無。そんな中で、世界と差を開けられる日本、特に長距離界においてはかなり差を付けられた状態だ。今後10年経っても20年経っても変わる事は無いだろう。中高大学と実業団が個よりも団体を優先とした駅伝中心に動く。朱に染まれば…と言う言葉があるが、それがまさに正しいものだと信じる。しかし、世界と差を付けらられているのは現実です。東アフリカだけでなく、ヨーロッパやアメリカにも…。もう人種としての能力の差だけとは言い訳出来ない。事実、駅伝があるのは日本だけだ。それで良かった時代は既に終わっている。それでも、変えない理由は何故だろうか。それは、そこに陸連関係者、指導者、そして選手やメディア、周囲の国民が居心地の良さを感じるからだ。昔、日本のプロ野球の選手はアメリカのメジャーに挑戦しようとはしなかった。何故なら、通用しないと言う固定観念の中、充分な収入が得られ、ちやほやされる居心地の良いNPBに満足していたからだ。それを破ったパイオニアが型破りな投球フオームを引っ提げた野茂秀雄氏だ。その後、振り子打法を引っ提げたイチロー氏が野手で続き、今では大谷翔平選手を始めとしたメジャーの中心人物になるような選手を沢山輩出してきた。何かを根本的に変えないと何も始まらないのだ。それは陸上競技界の長距離界でも同じだ。現状に満足すれば、先には進まない。今までやって来た事が根本から間違いだったと考え、一度全てをぶっ壊し、何もかもやり変える勇気が必要ではないだろうか。駅伝、学校部活、実業団チーム、そして日本陸連自体も全てぶっ壊し変えていく勇気が日本陸上競技長距離界には必要だと感じる。海外には駅伝もなく学校部活も実業団チームも盛んではない。それは偶然ではなく、必然だ。全てをぶっ壊せば、成長を考えた生理学的や運動学的、そして物理学的、栄養学的や心理学的に、幼少期からピーク期に向かえるまでの選手としての最善のパフォーマンスを向かえる方法がきっと生まれるに違いない。